revolverのブログ

人生どん底からの逆転話

偏差値30から何故大学受験をしようと思ったのか

こんにちは、リボルバーです。

ここでは私の実際に体験した大学受験の話をさせていただきたいと思っています。

初のブログの投稿になるので気になる点が多いかと思いますが、よろしくお願いします。


  まずは私の経歴を簡単に紹介させていただきます。高校は兵庫県のとある市内で一番偏差値の低い公立高校に通っていました。高校三年生で大学受験を決意し、二年の浪人を経て私立同志社大学法学部に合格致しました。現在大学2回生です。これだけ見るとそこらの予備校や塾が宣伝で載せているような体験記にしか見えないかもしれません。しかし、逆転合格と自信を持って言えるのには理由があります。それでは最初に、中学生から高校入学までのお話をさせていただきます。


  私は県立の中学校に通っており、野球部に所属しておりました。野球が強い学校というわけでもなく、さらに補欠だったので基本的には忙しくありませんでした(笑)。気になる学業では、毎テスト校内で最下位争いをしていました。こっちではレギュラーを取れたわけです(笑)。中学1年生の冬、三者面談で担任の先生に言われた言葉を今でも覚えています。「今のままの成績じゃ、どこの高校にも受からないよ」と。さすがに受かるだろうと思っていた高校も自分の中ではあったのですが、模試などを受けると絶望的なのが分かりました。中学二年生では、内申点がまさかの五段階中一を二つ取るという前代未聞の数字を叩き出しました。その冬、両親が流石に危機を感じたのか、担任の先生、野球部の顧問、両親、私の五人で今後の進路をどのようにするかを決める面談が執り行われたのです。そう、五者面談です(笑)。野球部の顧問には、「お前なにをしたんや」と言われて、「いやー、よく分からないです」と面談が始まる直前までこれから話す内容をぼやかしていたことを覚えています。その後、野球部を辞めて勉強に精進するかどうかなどと話をしましたが、結局部活はやっている方がいいということで続けることにしました。その後、両親と話をして人生初めての塾に入りました。そこの塾は個別塾で、基本的には大学生講師が授業を1:2の形式で行うやり方でした。当時の偏差値は35ほどです。取っていた科目は英語と国語でした。そこで約1年間、授業と自習を繰り返し、自分なりにかなり勉強をして、入塾する前では到底受かるはずがなかった市内の公立高校に合格することができました。その後両親にもよく頑張ったと言われて嬉しかったのを覚えています。ですが、高校受験直前の偏差値は42。合格した高校の偏差値は45でした。ギリギリ合格という感じだったわけです。


  ここまでが私の中学から高校入学までの体験になります。正直気になるのが高校でどのようにして大学受験をするようになったかですよね。次回の投稿で、高校入学から大学受験決意までの体験をお話ししたいと思います。


  ここまでご拝読頂きありがとうございました。